先日、母の二十三回忌を行いました。
和尚さんが家に来て拝んでくれたんですが、我が家に来てくれる和尚さんは毎回お経を読む前後にいい話を聞かせてくれます。
今回も、なるほどと感じる話やウルっと来る話を聞かせてくれました。
子供が大きくなったら聞かせてあげたい話でしたので、少しでも共感してくれる人がいれば嬉しいなと思い、ここで紹介したいと思います。
赤ちゃんの法事での役割
法事にはそれぞれの拝み方があり、赤ちゃんにも役割があるそうです。
それはご先祖様に声を聞かせてあげること。
お経の最中に泣いてしまっても、ご先祖様に声を聞かせてあげるのが赤ちゃんなりの供養だから、いっぱい泣かせてください。
生後3か月の息子を連れていた僕と妻に、和尚さんが言ってくれました。
法事というのは静かにしないといけないものだと思っていたので、始まる前にこう言ってもらえると助かります。
お経が始まると息子は驚いて泣いてしまったのですが、事前に言われていたので穏やかな気持ちでなだめることができました。
おかげで途中からはお経を一緒に読んだり手を合わせたりしてました。(親バカ目線)
三つ子の魂百まで
息子を見た和尚さんが「三つ子の魂百まで」について話をしました。
ことわざの「三つ子の魂百まで」というのは、三歳のころの純粋なきれいな気持ちのまま大きくなってほしいという願いが込められています。
仕事で色々な家庭を見てきた和尚さんですが、先祖を敬う気持ちがある家庭の子供はまっすぐ育ち、逆に敬う気持ちがない家庭では子供はひねくれてしまっているそうです。
子供のころから先祖を敬う姿を見せ、世の中は「今だけ、自分だけ、金だけ」という考え方で生きてはいけないことを伝えましょうと。
和尚さんは我が家に来ると必ず、僕たち兄弟が立派に育っていると褒めてくれます。
それは父が亡くなった母や先祖を敬う姿を見せていることが大きいですよと言います。
確かにそんな父の姿は印象に残っているので、なるほどなと感じます。
和尚さんは学者ではないので、ことわざの由来が本当かどうかは分かりませんが、大切にしたい考え方だなと思いました。
失ったものより得たものの大きさを思う
先日、和尚さんは40代の奥さんが50代の旦那さんを送った葬儀があったそうです。
奥さんは悲しみに暮れて「私と会わなかったら、この人はもっと長く生きられたかもしれないのに…。」とつぶやいていたそう。
失ったものは大きいです。でも得たものも大きいじゃないですか。
旦那さんはあなたと過ごせて幸せだったはず。
その幸せだった時間を思いましょう。
この言葉は大切な人を失った時にすぐ受け入れるのは難しいかもしれませんが、悲しみを乗り越えて生きていく力を与えてくれると感じます。
僕は子供のころに母を、妻は数年前に仲が良かった祖母を亡くしました。
それは悲しいことだけど、幸せな時間は確かにあった。
悲しみよりも幸せに目を向けてみると、あたたかい気持ちになり前向きになれました。
まとめ
母の二十三回忌で和尚さんから聞いた印象的な話をご紹介しました。
・赤ちゃんの法事での役割
泣いてご先祖様に声を聞かせてあげるのが供養。
・三つ子の魂百まで
三歳のころの純粋なきれいな気持ちのまま大きくなってほしい。
・失ったものより、得たものの大きさを思う
幸せだった時間に目を向けて生きていこう。
和尚さんの話はなぜか心にすっと入ってくるものが多いです。
優しい笑顔、体の芯に響く声がそうさせるんですかね。
今回の話は子供が小さいころから伝えていきたいなと思いました。
読んでいただいた方にも何か感じるものがあったら嬉しいです。